㊾・マイストーリー

堀米伸康

ほりまい のぶやす・歯科医師 

経歴


1⃣・1966年 青森県八戸市出身

2⃣・1993年 国 立徳島大学歯学部卒業 
  ・徳島大学産業大学院招聘教授

3⃣・2000年 ほ りまい歯科開院

4⃣・2001年 西糀谷歯科開院

5⃣・2002年 医療法人開設
この後1年に2医院ずつ20年にわたり新規開業していく

6⃣・2021年 医療法人が全国43医院になり年商が144億を超える


2020年、2021年、2023年の売上の合計は350億円以上

7⃣・2022年 体調を崩し脳溢血(小脳出血)目の前が90度ずれて見える
このままでは「下半身不随か死ぬか?!」と脳外科の先生に言わる

8⃣・血圧は200mmHgとなり性格は怒りっぽくなり、業者と喧嘩ばかりして、法人の運営も上手くいかなくなる。そして激務の法人の理事長を辞任

  資産はすべて無くなる!


9⃣・2025年6月・現在・大田区糀谷の西糀谷歯科1医院のみ開業(院長)

 「緩い診療スタイル」

 でストレス無し!


❿・2021年インビザラインは2300名、2022年は3100症例以上の治療・監修。その他のマウスピース矯正は年間30000名以上の治療を監修
特に問題症例を担当。マウスピース矯正は6年間で、合計10万人以上を監修。

⓫2021年 マウスピース矯正「ホワイトライン矯正」を設立
歯を動かし咬合を修正する矯正ソフト「スマイルデザイナー」を開発

動画あり「黒ボタン」↓


⓬マウスピースをレーザーカットし、同時にレーザープリントができる機械を開発

動画あり「白ボタン」↓


⓭「カルティエ」も使うドイツのマウスピース製造の3Dプリンターのラインを日本で初めで導入

(クリック)↓

㉞・ホワイトライン矯正を設立 | 頭蓋の骨格から直す小児矯正です!

David Bowieを勝手に「人生の師匠」と呼んでいます!

1983年に東京ドームでキングクリムゾンのメンバーだった
エイドリアン・ブリューと来日した公演 を1度見ただけでが...。

  自分の自慢話が無いのなら先祖の自慢話をする!

のは「嫌な奴がする定番」ですが、今回はあえてお話致します。
脳溢血で一度死んだ?のに命拾いし、法人は解散し、もう失う物が無いからです! 

最後まで読めばわかりますが自慢話ではなく実は

滅びた話です

適当に斜め読みしてください

私のルーツは岩手県洋野町大野です

そこにご先祖の1代目「堀米 重三郎」が201年前に建てた神社があります。街道から離れており、その神社の存在も地元の人しか知りません。なので神社が荒れていました。
そこでこの「大日霊神社」を統括している「鳴雷神社」の神主さんに
神社の管理をやってもらうように頼みました。

お礼として「鳴雷神社」の神主さんが、是非との事で「扁額」を3つ寄贈しました。神社の門に掲げられている名札のようなものを扁額(へんがく)と呼びます。

年に1度 お盆に 「大日霊神社」で近所の子供達によって行われる神事 の踊りです。

扁額の書体は、下の写真に写る弘前市の女性の書道家(真ん中)
額は埼玉の彫刻家の2人の男性(右の2名)に3か月かけて作って頂きました。

私は堀米一族の分家です。堀米重三郎はこの250年間のうち1代目から3代目まで3人の「堀米重三郎」がいました。ご先祖の墓の墓標で知りました。

この門の先の丘の上に神社があります。洋野町大野は久慈街道を通ります。
街道から離れていて地元の人しかこの神社の存在を知りません。

この写真の私が着ている服はニューヨークのブランド「Thom Browne」です。尊敬するDavid Bowieが死ぬ直前に着てていたのが「 Thom Browne 」でした。 

私はBowieの爪の垢ほどもないですが、単にBowieの真似をしたかったのです! 

当時は体重が60Kgで服を着れました。ですが毎日ウイスキーのボトルをを1本開ける不摂生な生活で脳溢血(小脳出血)を起こしました。その時に体重が80Kgに増えこの服を全く着れなくなりました。服は処分しました。

❶デビットボウイも死ぬ直前に着ていたニューヨークブランド・トム・ブラウン(オーダースーツ)を着る60kgの時・腰がくびれています!
❷脳溢血を起こした時・だれだお前!
❸現在・西糀谷歯科の院長・今髪を伸ばしているのBowieのまねです。

David Bowie Forever

Bowieは2016年01月10日に肺がんで永眠
 亡くなる直前に「Thom Browne」 の服を着るDavid Bowie・カッコイイ!!!

どんな時代も彼が太っていた時を知りません。
さすがスーパースター・体重管理は完璧です。

足はこのBowieのパターンにするか?迷ったのですが
そもそも私は足が短いのを思い出して長いタイプにしました。

街道から外れ人が来ず荒れ果てた神社

旅行雑誌にのった「街道をゆく 陸奥のみち」のパンフレット
に乗っている「久慈街道」

大野村史の「大日霊神社と堀米重三郎」の記事

↑の大野村史の「大日霊神社と堀米重三郎」の記事の元になった古文書

「大日霊神社は文政7年(201年前)に重三郎良雄が建立した」とあります

 古文書には
「地内を流れる有家川に巨岩数個を配して釣殿を建て江戸以北の俳人を招いて俳句の席を設ける等栄華を尽くした」とあります。 (赤線の右)

 この上の青い線の「大額」の実物が3点「鳴雷神社」にありました !

小さな話ですが大野町文化財に指定されています

東北の地方新聞「デイリー東北」の「俳諧献額の3点町文化財指定」の記事

昔は栄えていたのに「泡のように消え失せた!」と書いてあります!
250年前から110年の間に起こったことです。

今の私とオーバーラップします

東北の地方新聞「デイリー東北」の「堀米重三郎」の新聞記事

赤の枠に堀米重三郎は豪農で

「八戸の町まで他人の土地を踏むことなく行けた」と書いてあります

2つ上の最後の文章にこう書いてあります(アゲイン)

「栄枯衰退は世の常とはいえ、もののあわれと言うべきである」

哀れ!滅んだことを記述している約110年前の古文書です

最後に今のわたしの生きるモットーはゲゲゲの鬼太郎の
水木しげる先生の言葉です